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16年前の阪神大震災を体験した私は、その発生から数日後には、仕事で電車や代行バスも通っていない神戸市内を歩いて仕事先に向かいました。まだ、がれき撤去が十分に進んでいない時期でしたので、震災直後そのままの悲惨な状態が目に入ってきます。住んでいた西宮市の武庫川団地は液状化で道路からマンホールが飛び出した状態でしたが、建物はそのまま住み続けることができました。ガスが止まったままなので、仕事の帰りに、野田阪神で途中下車して、銭湯に通う毎日でしたし、たまの休みには、断水が続く中、給水車に列んだりと、平常の生活ではなかったですね。

勤め先の事務所は、土日も十分な休みが取れる状況ではなく、空いた時間をボランティアに使うこともままならない状況でした。

そうこうしているうちに、僕が住んでいた団地の一角にも仮設住宅が建ち並び、復興へとフェーズが移っていきました。

その頃と前後して、勤め先の事務所では、復興住宅の仕事で繁忙を極める状態になりました。とにかく急いで大量の住宅を供給する必要があったのです。僕は、勤め先が関わる復興住宅の仕事に従事するという形で、震災後の状況に関わったわけです。

同僚の中には、自宅が被災して家族バラバラに被災者住宅に入りながらも

結局、ボランティア活動には参加することなく、終わってしまいました。

勤め先からは、義援金を下さるというお話しがあって、ガス・水道が止まったことと、ワイングラスが数個割れた以外に、自宅の被害はほとんど無かったので、僕は辞退したいと申し出たのですが、みんなの善意だから、断ってはいけないよと諭されました。結局、そのお金は、もっとひどい被害にあった同僚に渡してもらうようにお願いしました。

あのとき、自分ではいったい何ができていたのか、今でもよく判りません。避難所で避難生活を送っていたわけでもなく、ボランティア活動に参加したわけでもなく・・・。なんだか中途半端な被災者だったわけです。でも、とにかく、その状況下で、必死に動いていたことだけは思い出されます。

そして、いま、僕に何ができるんだろうか?募金など、今すぐできることはやるとして、具体的なアクションとして何ができるか?当時のことも思い出しながら、考えて行動していきたいと思います。














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